先人が家づくりに託した想い ①

 

 

お盆休みに大崎市田尻町にあるご先祖のお墓参りに祖父母の家にいきました。

自宅の茶の間に二宮金次郎の絵が飾られていました。亡くなった祖母はわたしがまだ幼い頃、兄弟喧嘩をすると絵をみなが金次郎の歌を歌い、金次郎の人間像、思想感を教えてくれた姿を思いだしました。

戦前の日本の素晴らしい教え、人物像を学ぶ時、金次郎の成人しての名は、二宮尊徳といいました。

ところで、先祖代々から続く尊徳の家は破産してしまいました。

とても苦しい経済状況の中で、家計を支える為薪を背負いながらも勉強に勤しみ、立派な成人となり、破産した家を建て直し、やがてその手腕をかわれ、藩の財政をも立て直しました。

それを聞きつけた他国の藩も尊徳の力を借り、財政を見事に立て直していきました。

その功績を称え、学ぶ者のお手本とする為、戦前、全国のほとんどの尋常高等小学校に金次郎の銅像があったのだそうです。

未来の子供達で無言で伝える薪を背負う銅像の姿も、そして、祖母の想いも、経済重視の損得を…なにもかもの基準にされ、人間性を失いがちな今の時代ですが、学ぶことで視野を広め、思考を高め、思慮を深くし、結果、家族を救い、会社を救い、国を救う、人として生まれてきての、何よりの仕合わせはこのような『尊い(たかい)』ものなのだという事を教えてくれたのだと思います。

二宮尊徳の『徳』を積むための礎としての教え、学問。

その背景には、家族愛、兄弟愛が最も大切な事なのだという事を歌にして謳っていたのでしょう。

先人が家づくりに託した想いとは、家柄のひいては国家の繁栄にあったのだと思います。

次回は家づくりにおいて、先人はどの部分に命を注いだのかを考えてみたいと思います。